「そんなに急いで何処へ行く(Where are you going in such a hurry?)」という言葉が昔流行りましたが、高尾山では、今、よく見かける光景です。 今週も見かけた光景がありました。ある年配のグループのリーダーらしきオジサンが、小さな子供を連れた山に不慣れな若い夫婦に向かって『山のマナーは、「登り優先」、「左側通行」』と強い棘ある口調で語っていました。 山でのルールって? 『山のマナー』って、誰が設定したのでしょうか? そもそも、登山という行為で、多くの人々がすれ違うといった情景を過って想像できたのでしょうか? 少なくとも、私は、クライマーとして若さを発揮していた頃、ルートですれ違うという光景は殆ど経験していませんでした。それに、岩壁では、「待つときは山側」の情景もないということで、私も、そのような『山のマナー』と言われることを知りませんでした。 確かに、登りのペースを一定に保つのは一つの技術でもあり、ペースが一定である限り、さほどの疲れを感じないと一般に言われています。もしかしたら、そのようなことを配慮した人たちが教えてくれたことなのかもしれません。 山では、硬直化した言葉を優先するのではなく、現場の地形(危険度)、相互のスキル・経験、相互の体力等を総合的に推察し、安全性と他者を尊重する柔軟な対応が重要と思います。確かに基本といわれることは逐一説明する必要もなく重要なことでしょうが、安全性を保つための人間的な心配りがあることが前提と思います。 ついでに、もう一つ。トレイルランニングです。 実は、私は、多くのマウンテンランニングに出場していました。当然、レースとなれば勝ちたい思いで参加していました。したがって、写真にあるような不本意な結果だった時にもらったTシャツ等は、悔しさもあって、使いたくもなく真新しいものが未だに見つかります。 でもね~、昨今の高尾山のような人が混み合うルートを血相変えて下って来る様子は感心しません。ましてや、レースではなく、トレーニングですので・・・ 例えば、先程事例にしたような山のルールを掲げる人たちと、血相変えてトレーニングしている人たちがすれ違うと、何とも息苦しくなる相互の主張の応酬となります。 勿論、登る方は、一般的に苦しいですし、ペースを保ってユックリと進む方が、疲れが増さず、下る方は、これまでの行程で疲れていますので、それぞれの思いは理解できます。 でも、待っているという時間は、一息つける一時ですし、周囲の自然を楽しめる一時ですね。それに、お互いが不快を抱かないで挨拶を交わす一時を思えば、画一的で、律儀な自分を解放できるかもしれません。きっと、自分自身の余裕が増すような気がします。